ビートルズこぼれ話〜そして ハンブルグへ

そして ハンブルグへ

ビートルズの足跡をふりかえってみると、
よくもまぁここまでと思えるくらい 長く辛い下積み活動の末スターダムを上り詰めていったということがよくわかります。

その下積み時代の大半を過ごしたのが、ご存知ドイツのハンブルグ。

1960年8月、 シルバー・ビートルズ(注1) は 「アラン・ウィリアムズ(ダンス・ホール&酒場の経営者)」の口利きで初めてハンブルグ巡業に出発。

 

(注1) ビートルズの母体となった「クォリーメン」という名前は1959年頃から使われなくなっていきました。「ジョニー&ムーンドッグス」等など思いつくままの名前をつけていたといいます。
そして、同年末には 「シルヴァー・ビートルズ」と名乗っていました。

 


その当時のメンバーは、
「ジョン・レノン」「ポール・マッカートニー」「ジョージ・ハリスン」の三人と「スチュアート・サトクリフ」だったのです。

 

スチュアート・サトクリフ
スチュアート・ファーガソン・ヴィクター・サトクリフ(Stuart Fergusson Victor Sutcliffe 1940年6月23日-1962年4月10日)はザ・ビートルズの元ベーシスト。愛称は「スチュ(Stu)」。

1960年3月、4人は前述のダンス・ホール兼酒場に出入りしていた縁でプロモーター「ラリー・バーンズ」からバック・バンドの仕事を回してもらいます。

これが いわゆるプロ入りのきっかけであり最初の仕事となりました。
一人あたり週給 約1万5千円の契約だったといいます。



2年半後の 1962年12月のレコード・デビュー直後まで全部で5回ハンブルグを巡業しておりかなり長い期間をハンブルグで過ごしています。

ジョンとボールは学校をやめ ジョージは仕事をやめてハンブルグ巡業に参加したといいますから、彼らにとってハンブルグは永遠に忘れることの出来ない地名のひとつに違いありません。

最初のレコーディングも 1961年、「トニー・シェリダン」(注2)のバック・バンドとしてハンブルグで実現したものです。
ビートルズも最初は バック・バンドからのスタートだったのですね。
注2)トニー・シェリダン
イングランド出身のロックンロール音楽のシンガーソングライターでギタリスト。1960年代はじめのドイツで、無名時代のビートルズをバックに据えて録音したシングル盤を「トニー・シェリダンとザ・ビート・ブラザース」名義で出したことで知られており、レコードのレーベル上でビートルズと共同でのクレジットを残した2人のうちの1人である。

引用wikipedia


そして「ザ・ビートルズ」という名前を名乗りだしたのも最初のハンブルグ巡業からなのです。

ハンブルグは リバプールと同じくらいビートルズにとって忘れられないゆかりの場所なのですね。



アップルってあったっけ!? 〜 ビートルズ☆あれこれ!?


アップルアイコン

アップルはビートルズを語るうえでは、これも欠くことの出来ないもののひとつですね。

簡単にいえば、ビートルズのレコード会社です。
自分たちで好きなものを製作し、中間搾取を廃して提供するため、自分たちの会社を作るとして設立された アップル計画の中のレコード部門です。
アップル計画は、ビートルズの人気と名声を活用すべく 1968年4月華々しくスタートしたのです。

レコード、映画、音楽出版 ファッションなどを手掛け、
「アップルの歌姫」メリー・ポプキンというスターも輩出しましたが1976年2月、約8年の歴史を残し ジ・エンドとなっています。

アップルレコード「グッドバイ」ジャケット

 

メリー・ホプキン(Mary Hopkin, 1950年5月3日)
ウェールズ出身。アップル・レコードの第1号アーティスト。
マッカートニーがプロデュースしたシングル「悲しき天使 (Those Were the Days)」は、1968年8月30日に発表され、全英シングル・チャートで第1位、全米でも第2位を射止めた。その容姿や美声から「アップルの歌姫」と呼ばれた。

≪画像はアップルレコード「グッドバイ」ジャケットのメリー・ホプキン≫


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