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ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ! 1964年8月1日に松竹セントラルで日本初公開された 初の主演映画 「ア・ハード・デイズ・ナイト」は 映画界をも"Beatles"旋風で混乱させてしまいました。 ・・・映画界に新風を巻き起こしたのです。 「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」という邦題がつけられて 公開されました。 "Beatles"4人の日常生活を、ドキュメンタリー・タッチで、 2日間に渡って追い、公演旅行やステージでの彼らの姿をスクリーンに 映し出したもので、内容的には 賛否の分かれるところでしたが 興行収入は、1964年だけで1200万ドルを稼ぎ出し、 ケタ外れだったのです。 映画 「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」 は 今でも世界中で上映されているといいますから、 その後の興行収入は想像を絶する数字になっていることは 間違いのないところでしょう。 監督のリチャード・レスターという人は、 ほとんど無名の存在だったのですが一躍人気監督になってしまったと いいます。 ちなみに 日本で スクリーンを切り取るという前代未聞の騒動が起きたのも この映画公開の時なのです。 |
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初主演作「ア・ハード・デイズ・ナイト」 (「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」)の公開に続いて 1965年2月には"Beatles"2本目の主演映画「ヘルプ!」の撮影が 開始されました。 「ア・ハード・デイズ・ナイト」(「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」)が ビートルズの生活を生々しく追ったドキュメンタリー・タッチだったのに対し、 「ヘルプ!」のほうは徹底的な娯楽劇映画です。 この映画ではリンゴが完全に主役として仕立て上げられています。 「リンゴは喜劇役者に向いている。」という製作スタッフの判断があったとのことです。 日本公演の際つけられたタイトルは「4人はアイドル」。 1965年11月13日にロード・ショー公開された時には 機動隊が出動して、混乱に備えたというからこれもすごいですね。 「マジカル・ミステリー・ツアー」は 製作・監督・主演・音楽のを全てを自分たちでやってしまった映画です。 "Beatles"3本目の映画として、テレビ放映されました。 撮影が開始されたのは1967年9月。 ポールの発案で、 ビートルズの4人が、 友人・知人と一緒になってバスに乗り込み 足の向くまま 気の向くままの 2週間のバスの旅で、思いついたことを何でもやってみるという 自由で彼ららしい映画となっています。 1967年12月、イギリスでテレビ放映された時の視聴率はビックリ仰天の75%。 この1時間のテレビ映画は 若いファンからは大絶賛、 年配の批評家たちからは 「理解できない映画」との苦言の嵐で 論争を巻きおこしたといいます。 |
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| 映画『レット・イット・ビー』は "Beatles"の最後の映画となってしまいました。 何といっても衝撃的だったのはラストシーン。 アップルビルの屋上で 「ゲット・バック」を演奏し、歌っていたビートルズが、 押しかけた警察官に向かって 楽器を手から離したその瞬間に 画面が切れてエンド・タイトルが出るあの終わり方。 この映画は、 演奏しているビートルズを、そして くつろぐ彼らの在りのままの姿を映し出し、 彼らの音楽に対する討論までを赤裸々に捕らえ、 4人一緒のビートルズを裸にした映画ですね。 1970年春の公開時には、 「もう2度と4人一緒のビートルズは見られない。聞けもしない。」と いうこともあって、同時に出た レコード 『レット・イット・ビー』 とともに 空前の大ヒットとなりました。 ピアノを弾きながら歌うポールの姿と 「レット・イット・ビー」のメロディも いつまでも心に残るシーンとなっています。 |
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--------ビートルズ☆あれこれ!?------------------------- ●映画「イエロー・サブマリン」 何度見ても 退屈しない映画、 それがアニメーション映画「イエロー・サブマリン」です。 ビートルズは4人そろって声の出演をしています。 音楽と映像が見事に調和し、間違いなく夢の国へ連れて行ってもらえます。 1968年7月、イギリスとアメリカでの公開され、 日本ではちょうど1年後にようやく公開されました。 NEXT |
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